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​「秋元松代の世界」上演に寄せて

​企画・演出石丸さち子

秋元松代さんとの出会いは、帝国劇場で観た「近松心中物語」でした。平幹二朗さん、太地喜和子さん主演の烈しい愛の物語の美しさと厳しさに打たれました。その後、わたしは蜷川幸雄さんのもとで演出助手として、「近松心中物語」の立ち上げに三回携わることになり、1997年から2005年まで本番を見続けました。楽屋で、劇場で、秋元先生にお会いすることはありましたが、挨拶以外の言葉を交わすことはありませんでした。

演出家として独立し八年目の年始、山本健一さんの著書「劇作家 秋元松代」を読んだ時。
孤独と愛の渇望を迸らせ、深い自己省察を経て言葉を綴った、一人の女性が、リアルにわたしの前に立ち上がりました。数々の戯曲と秋元先生晩年の佇まいの記憶が、生きる痛みを伴って新たに像を結び、肉迫してきました。そして、秋元松代さんに、出会い直したいと、強く思ったのです。

俳優のワークショップで、初期作品「婚期」をテキストに選び読んでみた時、黙読の理解を遙かに超えた、活き活きした言葉の強さ深さに気づきました。戦後間もなくを生きる人物たちが、我々の現在に重なりました。
戯曲は上演してこそ生きる、という当たり前なことを、身を持って知りました。

わたし自身が秋元先生と出会うために、このシリーズを企画します。
ささやかな形でも、一作一作、俳優の心と体を借りて読み解いていきたいと思います。
正解などなくても、その言葉と向き合う時間が、一人の劇作家の一生を祝福できると信じて。
秋元松代さんの烈火の如くの逸話を聞いてきた身としては、逆鱗に触れないよう、真摯に向かい続けるのみ。
その公演の積み重ねが、現代の観客に秋元松代さんをご紹介することにつながることに責任を感じる一方、

強く、寂しく、一文字一文字言葉を紡いだ人生と出会うことに、静かに奮い立っています。

​「婚期」「虎の尾」「ことづけ」作品について

秋元松代作品を連続してご紹介していくシリーズの第一弾として、「婚期」「虎の尾」「ことづけ」の三作品を選びました。終戦しても、戦争があったことを内包して生きることを強いられ、現実的にも戦争の傷跡を負って生きた、庶民たちの物語です。
朗読の形ではありますが、そこに描かれた人間を立ち上げて観客に手渡す所存です。

「婚期」は、戦後間もない映画界に身をおく女二人、兵役あがりで映画の仕事をするもののヒロポンに今をまぎらわせる男、戦時中視学と呼ばれた文部省指導主事の男、四人の結婚をめぐる恋愛心理劇。
社会の中での女性の立場も、結婚観も、当時とは大きく変わっているはずなのに、今そこにいる女性を描いたように現代的な戯曲です。そして、男性二人が、単なる落伍者のように見えながら、実に痛みを伴った複雑な人物として描かれており魅力的です。

「虎の尾」はラジオドラマとして発表されました。
敗戦の責任を感じて自殺した父を持つ主人公は、高校の教師。担任した生徒が自殺をして、墓参りに向かったところ、親族たちは、彼自身が死に場所を求めているのでは?と大騒ぎになる。かつて見合いをしたことのある女性が急遽彼を追うことになるが……・。
虎の尾という花とも草ともつかぬ植物に自分をなぞらえる、地味で、コミュニケーション下手な男女二人。
ささやかな心の交流、孤独を埋めたい者どうしの共感が、とても痛ましい形で描かれます。
が、それは他者からすれば、とても喜劇的に見えるかもしれません。

「ことづけ」は、今回選んだ作品の中では、最も上演され、知られている戯曲です。
戦後をなんとか明るく懸命に生きようとする庶民たちに向ける、作家の温かい眼差しが感じられます。
初期秋元作品の中では特に喜劇性が強く、人間味に満ちた作品で、登場人物の苦味や屈折は少なめです。
苦味は、そこに描かれた「終戦後の日本」という現実にこそあります。

受け容れることでしか生きられない日本人の体質への批判。

行き場と生きる場を見失った人々に向ける作家の愛情は、批判を凌駕します。

しかし愛すべき人たちがそこにいるからこそ、体制への怒りが作品の底辺でふつふつとたぎるのです。

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